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羽生善治・岡田武史『勝負哲学』(サンマーク出版)

羽生善治・岡田武史『勝負哲学』(サンマーク出版)を読む。

羽生ファンの私としては当然面白かった。

将棋の羽生さんとサッカーの岡田さん。競技の違いを越えた共通点を見いだそうという企画であるが、私にとってはその違いが際だっていた。もちろん二人は共感している点が多く、むしろ表面上は意見の違うところもほとんどないのであるが、それゆえに、行間に滲み出る差が越えがたいものであると感じられたのである。それは将棋とサッカーの競技の本質に由来するのかも知れないし、羽生さんと岡田さんという個性に由来するのかも知れない。おそらくは両方だろう。

さて、面白かったところを少し紹介すると、まず羽生さんは、論理と直感の関係を尋ねられ、「その問題は将棋を考える上でいつも思考の中心にあることです」(14頁)と答える。その上で「データは自分の感覚を裏付ける情報でしかない」(15頁)、「一定水準まではデータ重視で勝てる。しかし、確率論では勝ち切れないレベルが必ずやってくる。そうして、ほんとうの勝負はじつはそこからだ」(16頁)だという岡田さんに同意しながら、こう述べている。

そうした確率だけを追究していけば、そこそこのレベルまでは行くと思います。しかし、その先の領域へさらに一歩を踏み出すためには、理論の延長ではなく、次元の異なる方法を考慮に入れなければなりません。(略)つまり、少なくとも実践においては、「論理」には思っている以上にはやばやと限界が来るんですね。おっしゃるとおり、理詰めでは勝てないときが必ず来ます。でも、ほんとうの勝負が始まるのはそのロジックの限界点からなんです。17頁

そして、

データに何をプラスアルファすれば勝利につなげられるのか。そのプラスアルファが感覚の世界に属するものなら、どうすれば、数値化できない非論理的な力を味方につけることができるのか。そのことが大きな問題になってきます。18頁

と述べる。

羽生さんの答えは何か。
一つは、「研鑽」である。

どうやって手を絞り込むかといえば、まさに直感なんです。……直感が選ばなかった他の大半の手はその場で捨ててしまうんです。……研鑽を積んだ者にしか「いい直感」は働かないはずです。22頁

その研鑽を積んだ「いい直感」はただのヤマカンとは違う。

選択は直感的に行われるが、その直感は、経験や訓練の厚い層をくぐり抜けてきているという感覚ですね。27頁

そういう直感はたいてい正しい選択をするという。

ぎりぎりまで積み上げた理屈を最後に全部捨てて、最終的な決断は自分のカンにゆだねる。高レベルな判断ほど直感にまかせるーとても納得できる話です。
直感は過失の少ない指針ですよ。盤面をパッと見て、「この手がいい」とひらめいた直感はたいてい正しい選択をします。その七割は正しい、というのが私の経験則にもとづいた実感です。28頁

絶対絶命のときとか大ピンチというときには、人間は意外に正しい判断をするもの。118頁

というのである。
二つめは開き直り。

開き直ることによって選択肢が絞り込まれる。絞り込まれれば直感も冴え、迷いも見切れて正解に近づく。118頁

三つめは「野生」。

私もいま、「野生」の必要性をすごく感じているんです。137頁

データやセオリーに頼りすぎて直感が鈍くなってしまっているということでしょう。138頁

「野生」が必要なのは、やはり「いい直感」のためである。その「直感」によって「決断」するのであるが、その決断はリスクテイクとセットだという。

決断とリスクはワンセットのものだということです。リスクテイクの覚悟のない決断は本来、ありえません。87頁

将棋には「相手に手を渡す」(58頁)というのがあって、他力によるところが大きい競技であると述べた後で、それでも、

他力を利用するような変化球ばかり投げていてもダメです。どこかでギアチェンジして、直球による真っ向勝負を挑まなくてはいけません。
そういうときは相手に手を渡すどころか、相手の得意な戦法の中へも思い切り踏み込んでいって、勝負をかけた血の流れるような斬り合いをする。その覚悟はいつももっているつもりです。62頁

というのである。

さらに羽生さんは恐ろしいことを述べる。

リスクとの上手なつきあい方は勝負にとってきわめて大切なファクターです。
将棋が急に弱くなることはありませんが、少しずつ力が後退していくことはあって、その後退要因として一番大きいのが「リスクをとらない」ことなんです。リスクテイクをためらったり、怖がったりしていると、ちょっとずつですが、確実に弱くなっていってしまうんですね。84頁

リスクをとらないと少しずつ弱くなってゆく……。将棋に限らず、あらゆることにおいてそうなのだと思う。しかもそういう状態のときは、自分がリスクをとっていないことにも気づきにくい。ましてや弱くなっていることも。何と恐ろしいことか。急に弱くなるのであれば、本人も自覚できるが、少しずつというのは……。本人が気づいた時にはかなり後退して手遅れということも多いのだろう。ここに羽生さんのトップを長年維持している秘密があるのかも知れない。

一瞬トップに立つことは、勢いがあれば可能かも知れない。ちょっとの間それを維持することも、才能があれば可能かも知れない。しかし、長年トップを維持し続けることはとても困難である。心を鍛え、日常生活から整えていかなければ、おそらくそれは叶わないのである。

だから私は、経験値の範囲内からはみ出すよう、あえて意図的に強めにアクセルを踏むことを心がけているつもりです。85頁

タイトル戦のような大きな舞台でこそ、いろんな戦法を実践したり、相手の得意な形に飛び込んでいくようなリスクを冒している積もりです。自分で考えても、そこに必要性と可能性を感じたら、かなりの危険地帯にも踏み込んでいく決断をするほうですね。86頁

もちろん羽生さんといえども、リスクをとると失敗することもある。だから、

リスクテイクの是非を、なるべく成功、失敗の結果論では測らないようにしています。
結果的にうまくいったか、いかなかったかではなく、そのリスクをとったことに自分自身が納得しているか、していないかをものさしにするようにしているんです。91頁

そして最後は、場になじむ。自然体。

支配とか制するとかいうと、やっぱり強すぎるかな。もっとやわらかい感じです。「場になじんでいる」ような。場を見下ろすのではなくて、自分も風景のひとつとして場の中へ違和感なく溶け込めている。そういうときは集中力も増すし、まちがいなく、いい対局ができますね。175頁

こと将棋という競技においては、その闘争心がむしろ邪魔になることもあるんです。180頁

だから私は、戦って相手を打ち負かしてやろうと考えたことはまったくといっていいほどありません。181頁

将棋は結果だけが全てである。その世界で長年勝ち続けるためには、「相手を打ち負かしてやろう」と考えていてはとても勝ち続けることは叶わない。

それよりはむしろ、相手に展開をあずける委託の感覚や、もっといえば、相手との共同作業で局面をつくり上げていく協力意識や共有感のほうが大切になってくるのです。181頁

勝負に「熱」は必要ですし、大切なものです。深い集中力も重要だし、法然としたリスクテイクも不可欠です。……しかし一方で、私の経験は、そういう熱っぽい感情をできるだけ制御しないと勝負には勝てないことも教えています。
勝負に一番悪影響を与えるのは「怒」とか「激」といった荒々しい感情です。……だから私は、感情をコントロールすることが将棋の実力につながるんだと思って、闘争心をむき出しにするのではなく、それを抑制する方向に自分を訓練してきたつもりです。182

ここでもまた羽生さんは恐ろしいことをおっしゃる。

「冷えた情熱」というか「熱い冷静さ」みたいなものです。そうでないと、落ち着いた平凡な一手は指せません。凡手の中から価値ある手、深い手を拾い上げてくることはできないんですね。182頁

「落ち着いた平凡な一手」とは……。上に引用してきたことをやれば、羽生マジックといわれるような「優れた一手」を指せるのかと思いきや、そうではないのである。凡人は、いつでも優れた一手を指そうとする。しかしほんとうに目指すべきは「落ち着いた平凡な一手」なのである。そこからしか「価値ある手」は生まれない。

そのために、

あまり気負わず、自然体でやっていきたいですね。そのほうが自分の力を出しやすいようにも思えます。185頁

だから、「タイトルにも執着はないということですか」と聞かれ、こう断言している。

ないですね。……それがモチベーションのいちばん上に来ることはありません。186頁

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