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西岡常一ほか『木のいのち木のこころ』

  • 2009-08-04 (火) 11:25
  • 読書

 この本は私の人生の書の一つである。何回読んだだろう。読む度に新しい発見がある。つまり、その時々の自分の状態と課題、問題意識などに応じて本書がいろいろなことを教えてくれるのである。
 本書は、徒弟制度における技術伝承の実際とその意味が見事に語られている。何よりすばらしいのは、師匠と弟子と孫弟子の3世代にわたってインタビューされていることである。それによって、教える側、教えられる側の両方のことが分かるし(しかも同じ人の両面が)、その教育によって具体的にどのようなお弟子さんが育つかが分かる。しかも、本書にちょっとだけ名前の出てくる菊池さんがNHKのプロフェッショナルに出られたり、

を出されたりしているので、ますますよく分かる。
 西岡さんの教え方は、弟子の小川さんによれば次のようなものだった。

 「鉋屑はこういうもんや」
 って鉋を1回かけてその鉋屑をくれただけや。それを窓ガラスに貼っておいて、それと同じような鉋屑が出るまで自分で削って、研究しなければあかんのや。(p233)

 そして西岡常一棟梁もその師から同じように教えられた。

 刃物を研ぐというのはどういうことかといいましたらな、人からは教われませんのや。私が弟子の小川にいったのは、自分で削った鉋屑を見せまして、こんなふうにやるんだ、そういっただけですわ。
 私のおじいさんもそうでした。台の上に鉋を置きまして、鉋というのはこういうもんやと言いましてな、キセルの雁首で鉋を引っかけまして、そっと引っ張りましたんや。鉋屑がどこにも出てきませんのや。それで息をふっと吹きかけますと、ひゅるひゅると出てきました。そして「こないふうにやるのや」というだけですわ。

 カッコいい-。こんなおじいさんに私もなりたい(絶対無理だ)。そして次のように言う西岡棟梁も素晴らしい。

 目の前でやって見せてくれるんですから、できますのや。口で「向こうが見えるほどの屑を出してみい」といわれただけでしたら、「そんなん、できるか」と思いますが、目の前で簡単にやって見せてくれるんですからな。やらななりませんやろ。(85)

 なかなかこうは思えない。だがこれが徒弟制度を支える基本なのである。この少し前で西岡棟梁がこう書いている。

 教わるほうは「もっとちゃんと教えんかい」、「これだけじゃ、できるわけないやろ」、「おれはまだ新入りで親方とは違うんじゃ」とかいろんなことが思い浮かびます。しかし、親方がそういうんやからやってみよう、この方法ではあかん、こないしたらどうやろ、やっぱりあかん、どないしたらいいんや。そうやってさまざまに悩みますやろし、そのなかで考えますな。これが教育というもんなないんですかいな。自分で考えて習得していくんです。(75)

 この心構えがないと、よい弟子にはなれない。小川さんの話を聞くと、そのことがよく分かる。小川さんが弟子入りして最初に言われたのは、

「道具を見せてみい」だった。
 「それをちょっと見て、棟梁はぽんと捨てたもんな」。そして、
 棟梁がその後にいったのは、
 「納屋を掃除しておき」
 これだけや。
 「はい」
 って答えて納屋へ掃除に行ったよ。
(206)

 同じことをされて、「はい」と素直に掃除に行く自信は私にはない。だが驚くべきはその次である。

そこには棟梁の道具が置いてあったし、鉋屑なんかがあったな。
 「納屋を掃除しろ」ということは、「そこには自分の道具が置いてある。わしの道具を見てみろ。わしがおまえの鑿や鉋がまったくあかんというてる意味がわかるはずや。(略)掃除をしながらわしの仕事をよーく見ろ」ということだった。

 小川さんは、棟梁の意図をしっかりと受け取ったのである。このような心構えが出来ていないと、小川さんのように優れたお弟子さん、そして師匠になれないのである。「人の道具捨てやがって。なんで掃除せなあかんのじゃ」などと思っていては、この意図が分からない。だから、西岡さんも小川さんも、口を揃えて言うのは「素直さ」の大切さである。

 (西岡)親方のいうことにいちいち反対しているうちは、親方のいうことがわかりませんのや。一度、生まれたままの素直な気持ちにならんと、他人のいうことは理解できません。素直で、自然であれば正直に移っていきますな。そのなかから道が見つかるんです。(75)

 西岡さんの優れた指導法、技術に対する厳しさ、自然や命に対する価値観、人柄に感動し、小川さんの優れた心構えと情熱に感銘を受け、〈人〉まで読み進めると、初めて読んだ時は、非常に驚いた。えっ?これが小川さんのお弟子さん?と失礼ながら思ってしまったのである。しかしよく読むと考えが変わった。これが「徒弟制度は個性を生かす」ということの意味かと思うに至ったのだ。本書の価値を真に理解するためには、この〈人〉が不可欠なのである。聞き手である塩野さんに感謝である。

 究極の技術を伝承するためには、徒弟制度が最も効率がよい。それ以外にないといってもいいくらいである。また徒弟制度は、それぞれの個性を真に輝かせることができる。
 しかしそれゆえ、この優れた教育システムは、非常に危うい面をもっている。プロ仕様の包丁を素人は使えないように、このシステムは、使い方を誤ると悲惨なことになる。現実にはその方が多かったのかも知れない。だから徒弟制度というと非常に評判が悪い。苦い思い出をもっている人も多いだろう。しかし何度も言うが、本当に優れた技術を継承し、なおかつ自分の個性を遺憾なく発揮するためには、徒弟制度は非常に優れた教育システムなのである。あまりにハイレベルなので、師匠も弟子も非常に高い心構えを持っていなければならない。
 本書を読むと私は、いつでも6代目笑福亭松鶴師匠と笑福亭鶴瓶さんのことを思い出す(それについてはまた今度)。
 本書で西岡棟梁は、学校教育と比較して語っているが、私は学校教育に徒弟制度を入れるべきだと考えている訳ではない。それは無理である。目的も、生徒の数も違う。第一、学校は先生を選べない。例えば小川さんは、修学旅行で法隆寺を見て驚き、自分も作ってみたいと思い、西岡棟梁に弟子入りしている(もっとも西岡さんのことはよく分からず訪ねたようだが)。
 徒弟制度は、まず技術の結果(建物など)があって、自分もそれを作りたいという思いと、その技術を持った師匠へのあこがれ、いつか自分も師匠のようになりたいという夢が修行を支えるのであって、その前提がないところでは難しいのである。もちろん、武道などでもたまたま近所の道場に入門した、という場合もある。だが、それでも、必ずどこかで、「自分はこの師匠を自ら望んで選んだのだ」と強く確信し、師匠にあこがれるという、「師匠とその技術を学ぶ意味の掴み直し」経験がなければならない。それが来るまでは、「弟子」ではなく「生徒」である。だから最近の道場では、「弟子」と呼ばず、「道場生」と呼ぶところが多い。もちろん徒弟制度を採用している道場は非常に少ないだろう。

 また本書には、高田好胤さんの話が少し出てくる。これをきっかけに、「話の散歩道」(CD-BOX)を購入して拝聴したが、これまた感動の連続であった。
 あんまりいい本なので、武道部の課題図書に指定してある。

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